粗食、少食は長寿につながる?
日野原重明先生は、80歳から1日1300キロカロリーの食事摂取にされています。腹八分目が健康を保つのに有効であるそうです。
めでたく100歳になられた日野原先生の健康法を学び、高齢でも第一線でご活躍の先生にあやかりたいものです。
また、石原結實先生の健康法「石原式朝だけにんじんジュースダイエット」も一番下に記しています。参考にしたいものです。
日野原重明先生の大往生
2017年7月18日、日野原先生は105歳という長寿を全うされました。3月下旬に消化機能の衰えで食べられなくなったようです。先生は、延命治療の経管栄養や胃ろうを拒否され、数日後に自宅へ帰られたそうです。
聖路加院長の福井さんが診察されていて、17日の夜「つらいところはありませんか」と尋ねられたら、顔を左右に振って応えられたそうです。18日朝、次男夫婦や家族に見守られて亡くなられました。
日野原先生は、聖路加で71年間現役医師を続けられました。そして、平成24年に理事を辞められました。
「年を取ること事態が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんな楽しい冒険はない」という日野原先生の言葉に、福井院長は、自分の命がなくなる過程を客観的に眺めていたのでは、と言われます。
私たちは、日野原先生のいつも明るく前向きな姿勢に、いつも励まされてきました。ありがとうございました。
日野原重明先生の健康法
日野原先生のお食事
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生は、今年96歳になられますが、超人的にご活躍です。(2007.7)
先生は10年前から食事は夜のみで、朝食はコーヒー、ジュース、ミルク、オリーブ油を摂取され、昼食はミルクとクッキー2個だけだそうです。
夕食は茶碗半分ほどのご飯、たっぷりの野菜、それにヒレ肉か魚で1日1300キロ・カロリーに制限されています。
先生の基礎代謝が1200キロ・カロリーで、100キロ・カロリーを毎日頭脳活動と運動に使っている計算になるようです。
日野原重明先生の健康法は、運動と粗食とご本人がおっしゃっています。そして、今の若者は食生活が豊か過ぎるから、老化が早いのではないかと危惧しておられます。
日野原先生のうつぶせ寝と考案した枕「ピロー・オハラ」
日野原重明先生は、睡眠が大切だと実感され、うつぶせ寝を提唱されています。うつぶせ寝は、腰に体重がかからないから床ずれの心配がありません。
腹臥位(ふくがい)になると腹式呼吸になり、肺活量が増えて呼吸が楽になります。たんがたまらず、寝つきが良いし、目覚めも快適と言われています。
そこで、いびきがひどい人、腰痛が大変な人用にうつぶせ寝用の 枕楽天 を考案されたそうです。「ピロー・オハラ」という名前だそうです。
日野原先生と「新老人運動」
日野原重明先生は、若さを保つためには、常に新しいことに挑戦することも必要ということで、2000年に「新老人運動」を始められました。
スローガンは、「新しいことを創める」だそうです。日野原重明先生は、冒険心と勇気をいつまでも忘れない生き方をされています。
日野原重明先生の生活習慣
「文藝春秋」の2007年3月号に「百歳で現役、健康心得10ヶ条」という題で日野原重明先生を紹介した記事が出ています。
2007年8月には、日野原先生はメキシコを8日間訪問され「新老人の会」現地支部設立総会に出席されたそうです。
「新老人」の会員の条件は、「75歳以上で元気」な老人であること。60歳以上についてはジュニア会員、20歳以上はサポート会員として入会を認めているが、あくまでも主役はシニア会員だそうです。
その中で友達、仲間を作り、お互いの得意分野を教えあったり、様々な活動を展開していくようです。ボランティアをすること、「他の人のための時間」を設けることで、自分や家族を大事にする気持ちが生まれ、違う環境に身をおくことで新しい自分を発見できるだろうと、日野原先生は言われています。
満96歳の先生の気力、体力にため息、脱帽、「どうしてそんなに元気なの」という疑問がわいてきます。そして、その答えらしきものが「10の生活習慣」にまとめられています。
日野原重明先生の「10の生活習慣」
*少食
腹八分目は科学的にも正しい。80歳から1日1300キロカロリーに。30代の体重や腹囲を保つと良い。
*植物油をとる
ヤシ油以外のものならOK。肌のハリを保つ。肌のハリは、気持ちのハリにつながる。細胞を若く保つには、大豆製剤のレシチンを温牛乳に入れると良い。
*階段は一段飛びで これはちょっと危険かも。先生の体力に完敗。
*速歩
*いつも笑顔で
そういえばテレビで拝見する時もいつも目が笑っている感じです。
*首を回す
後ろから呼ばれた時、肩ごと身体を向けるのではなく、首だけ回すとはつらつと見えるそうです。
*息を吐ききる
吐ききると腹式呼吸が簡単にできる。新鮮な空気がたくさん身体に取り込める。
*集中
仕事、趣味に時間を有効に使うためには集中することが一番大切。
*洋服は自分で購入
服を選ぶことは楽しい。おしゃれになると、歩き方までかわる。
*体重、体温、血圧を測る 自分の身体は自分で守る。日々の変化を記録する習慣を。ベストの数値を知っておく。自分の30代の数値に似ているはず。
以上の10項目を、できることから少しずつ取り組んでみてはいかがでしょうかと、日野原先生はおっしゃっています。
日野原重明先生のお食事
「文藝春秋」の2007年3月号に「いきいき95歳」日野原楽天 先生密着記、佐藤和歌子(ライター)さんの書かれた記事があって、その食事の内容、献立に興味を持ちました。
佐藤和歌子さんが、一週間密着取材されて書かれたもので貴重なものです。そして、この献立は、静子夫人に代わって長男夫人、二男夫人が、日野原先生の体調、好みや季節のものを取り入れたりして、いろいろと工夫して分担して作られています。
日野原先生の献立の一例
朝食の一例
・びん入りりんごジュース+米油スプーン1杯を撹拌したもの(ジュース+オリーブオイル少々をよく混ぜて飲みます)
オリーブオイルは、動脈硬化予防、心筋梗塞予防や便秘予防に良いです。
・コーヒー+ホットミルク+大豆レシチン(牛乳+豊年大豆レシチン小さじ約3倍をよく混ぜて飲みます)
大豆レシチンは、細胞膜を作る成分で細胞を若く保つので、若返りの栄養素と言われます。大豆レシチンは、大豆に含まれる不飽和脂肪酸で、血管のコレステロールを溶けやすくしたり、血行を良くしたりして、動脈硬化予防・脳出血予防などの効果・効能があります。
昼食の一例
・赤飯・おこわ
・かぼちゃ、ふきの煮付け
・おひたし
・漬物
・お吸い物
昼食の一例 ・海苔巻き・いなり寿司
・里芋の煮っ転がし
・漬物
・お吸い物
・食後梅干2つ
昼食は、クッキー2枚と牛乳ですませられる時もあり、また、仕事がたてこんでいる時は何も食べられない時もあるようです。
夕食の一例
・鮭のソテー、人参のグラッセ
・里芋の煮っ転がし、インゲンとちくわ
・きゅうりとワカメの酢の物
・ごはん
・漬物
・えのきだけの味噌汁
・コーヒー
・アイス、シュークリーム
夕食の一例
・ハンバーグ
・ホウレンソウのソテー
・焼き魚
・煮奴
・おひたし
・タラコ入りサラダ
・かまぼこ
・ごはん
・麩の味噌汁
・漬物
夕食の一例
・1口ステーキにコーン、グリンピース
・インゲンの胡麻和え
・ちくわのミゾレ和え
・がんもどき
・ねぎとわかめの味噌汁
・千枚漬け
・ほうじ茶
・葛餅にアイス添え
夕食の一例
・スズキのおろしポン酢和え
・サラダ
・かぼちゃと菜の花のマヨネーズ和え
・ミネストローネ風スープ
・ごはん
・漬物
日野原先生の献立の特色
1日1300kcal以下におさえることを目標に作られている。
1日1食だから、なるべく野菜を多めに摂れるように工夫されている。
年齢のわりにハイカラなものが好き(日野原先生は1年間のアメリカ留学経験あり、また、父上もアメリカ留学経験者で、父上のお手製のグレービーソースを食べるような家庭に育たれました)
日野原先生の夕食はリッチですが、その後先生は午前3時ごろまで執筆したりと、本を読まれたり、遅くまで起きておられるから、夕食もよく消化してから寝られていると思います。(早くに寝る人には日野原先生のまねはできないかな)
また、日野原先生はストレスを感じない精神力の強さを持たれていると、佐藤和歌子さんは書かれている。いろんな活動をパワフルに続けておられる日野原先生は、やはり超人です。
2012年5月31日、NHK「スタジオパーク」へ出演(日野原先生100歳)
久しぶりに、日野原先生のお元気なお顔が見られて光栄でした。
100歳を超えて、背広に鮮やかなブルーのネイタイとポケットチーフがお洒落でした。髪もオールバックで後ろは少し長めでした。
今でも1週間に1回は、病院でホスピスの患者さんを診察をして見舞っておられます。聖路加の看護大学では、2時間足らずの講義もされています。
ホスピスでは、残された3日~1週間を気持ちが和むようにするそうです。握手をすると、心が通うのを会話で感じると言われます。死に近い患者には心で寄り添い、体にタッチして笑顔でやわらかくすると言われます。
先生は、「私から生きようというエネルギーを貰ってください」と、言っておられました。110歳までのスケジュールを書いた予定表を作っておられます。学会のこと、10月24日の美智子皇后の誕生日も予定に入っているようです。
コミットメントは、オバマ大統領が、権利と自由を守るために国民に誓ったように命をかけて誓うことだと、先生は言われました。
- 日野原先生の食事
- 朝は、特製のジュースにオリーブオイルに大豆レシチンを摂られています。また、バナナやミニトマトなどを切ったものも食べておられます。昼は牛乳に甘くないクッキーを2枚だそうです。「お腹が空くでしょう」とよく聞かれるが、集中していれば、お腹は空かないと言われます。夜は、バランスの良い食事をされています。
- ストレッチ
- 週1回、プロの人にストレッチを1時間半ほどしてもらいます。
100歳からスタートしたこと
- 毎日の血圧測定
- 医師の前では血圧が高くなる白衣高血圧症の人もいます。また、高齢者は早朝高血圧になりやすいので、毎日血圧を測ることにしたそうです。ご自身で1日測ってみたら、早朝に161~89と高かったそうです。そこで、アダラートを半錠飲むと少しして正常になったそうです。1日1回、半錠飲めば1日血圧は安定しているそうです。「みなさんも、自分で血圧を測って主治医に見せてください」と言われました。
- 童話・童謡を創作
- お正月に童話・童謡を創作すると宣言されたそうです。みんなに、100歳から童話・童謡が作れることを知らせたいと言われます。命を大切にすることを学べば、いじめはなくなるとも言われます。子どもたちに伝えたいいろんなメッセージがあるからだと思いました。移動中の飛行機や車の中でも書けるようにスコットランド製の膝の上に載せるテーブルを持ってきて見せてくださいました。便利そうでした。また、講演会などに行っても、子どもと一緒に遊ぶから、子どもも100歳のおじいさんと思わなくて、友達と思うと言われました。
- 本を出す
- 100歳になって「100歳の金言」という本を出されました。今までには約400冊も本を出されています。「100歳の金言」には、50の金言が載っていますが、これを100に増やして皆さんに読んでもらえるようにしたいと言われました。
人間は、120歳まで生きる可能性があります。今までは徹夜や夜遅くまで執筆などされていたようですが、これからは、睡眠時間をしっかり取るために夜の10時、11時には寝るようにしたいと言われます。
体重は、30歳の時から変わらず60kgだそうです。
100歳の日野原先生への質問
- ストレス解消法は
- 音楽が好きだから、音楽を聞きます。原稿を書く時にも、聞きながら書きます。また、ストレッチをすることもストレス解消になります。
- 寝たきりの人を励ますには
- 音楽を聞かす、体を撫でながら会話する、足浴など、良い香りのするアロマオイルを使うと良いです。
- 芯の強い人間になるには
- 今日はこれをやるぞと言ったら、勇気を出してやってみることです。行動・アクションが必要です。正義・自制心・叡智・勇気ある行動が大事です。
2010年、99歳の日野原先生の活躍
- ピースハウス病院での活躍
- 日野原重明先生が理事長をされている財団法人ライフ・プランニング・センターが運営している病院は、1993年に日本で最初の独立型ホスピスとして開設されました。ここで、がんの末期患者さんとの診療・対話などをされています。限りある命を大切に生きること、死を受容することなどを患者さんに伝えたいと思っておられます。「がんばれ、がんばれ」と言うのではなく、「いいですね」「良かったですね」と、患者さんに共感してあげることが大切と日野原重明先生は言われます。
- ミュージカル「葉っぱのフレディ」
- 日野原先生は「葉っぱのフレディ」を通して、死について考えることを目指しています。この中で「いつかは誰も死ぬさ。でも命は永遠に生きているんだよ」という言葉が日野原先生は好きだそうです。命は巡る、命の循環を感じる瞬間があるそうです。毎年変わる子どものメンバーに命や死について考えて欲しいと思っておられます。そして、生きていることは時間で、命と時間は同じだから、時間を大切に使って欲しいと言われます。
- ニューヨーク公演・ミュージカル「葉っぱのフレディ」
- 今までにミュージカル「葉っぱのフレディ」は、約10万人が見たそうです。第11回目になる2010年8月には原作の地、アメリカ・ニューヨークのマンハッタンの会場で公演されました。600席ある舞台で3日間の公演でした。子ども達も日野原重明先生もいきいきとして充実した笑顔でした。(テレビで見ました)
- 俳句(99歳の時)
- 日野原先生は、日常生活の中で俳句を読んでおられます。99歳の時の俳句「100歳のバーをめざして身をかがむ」 100m走のように、100歳を目指して意気込んでおられる様子が目に浮かびます。この頃は「老いという感覚が全くない」と言われています。体調が良いからこういう言葉が出るのですね。すごいことです。
- 俳句(患者さんへ)
- 40歳代の肺がんの患者さんへ読んだ俳句です。「いのち開く 君の笑顔 土の香り」というものです。この女性は園芸が趣味なので、土の香りとよんでいます。
終末期医療に取り組むようになったきっかけは
京都大学医学部を卒業して医師になったばかりの頃、初めて担当患者を持ちました。16歳の少女で、目の大きい美しい娘でした。
いつも一人で寝ていました。「結核性腹膜炎」でした。家が貧しくて母が働いていたので、なかなか見舞いに来れないのでした。下痢が続き様態が悪くなって個室に移されました。
少女は「先生、長い間ありがとうございました。母が来るまで持ちそうにないから、母に感謝していたと伝えてください」と言いました。
若かった先生は「助かるから、そんなことを言ってはいけない。お母さんもすぐ来るからがんばりなさい」と、強心剤を打ちました。が、かいもなく亡くなりました。
その後、日野原先生はあの時なぜ、「安心して天国へ行きなさい」と言ってあげられなかったのか、強心剤を打つより、彼女の手を握ってあげなかったのか、と思い悩まれたそうです。
そういう思いがずってあって、平成5年にはホスピス専門病院を作られました。
日野原先生は、この世の最後に、自分が生を与えられたことに対して「ありがとう」と、自然に言えるようにしたいと言われます。
強いモルヒネを打たなくても、自分は死んでいくという意識を持って「ありがとう」と言って死んでほしいという思いのようです。
日野原重明先生の日常生活
2009年7月6日のNHKに出ておられました。その放送内容で97歳の現在の日野原先生の日常生活が紹介されました。
- 週2回の診察(65歳の定年を迎えてからは、ボランティアとして活躍されています)
- 年170回の講演(命の授業などをボランティアで行っておられます)
- 連載5本の執筆業
- 著書は200冊以上
- 海外出張は年5回
毎日、約5時間の睡眠だそうです。「私の元気(気)をあげたい」と、楽しんで生き甲斐を感じているから、頑張れるそうです。
- 命の授業
-
2011年現在でも、年100回は東京を離れて仕事をされています。学生に向けての「命の授業」は、170回にもなるそうです。高熱をおして講演に出かけられることもありました。社会のために働くという使命感などがそうさせるようです。
命とは、使える時間のことであり、自分のために使えるが、他人のためにも使って欲しいと言われます。
- ゴルフ
- 「私の3人の息子のうち2人は小中学生の頃からゴルフをしていて、私も庭でパットを試したりしましたが、数年前から1年に1回、夏休みにゴルフをするようになり、2年に1回は北海道でやることにしてきました。もちろん、自分のゴルフクラブも靴もなく、息子のものを借りてやるのです」と、言われています。
日野原先生の試練の時は?
1911年(明治44年)に山口県山口市に誕生しました。父親・善輔氏は牧師をしていましたが、アメリカに留学、帰国後には広島女学院の学院長を務めました。父親の影響を受け7歳で洗礼を受けました。
母親・満子さんは病弱でした。9人家族の切り盛りで忙しく働いておられました。日野原先生はお母さんが大好きでした。
10歳の時に母親が腎臓病で高熱を出しました。意識も無くなり、日野原さんは幼心に「お母さんは死ぬの」とは医者に聞けず「お母さんは助かるの」と小さな声で聞くと、かかりつけ医のヤスナガ先生は、うんと頭を下げてくれました。お母さんの命は引き受けたよというヤスナガ先生のメッセージと受け取りました。そして、初めて心から神様にお祈りをしたそうです。
その時に、医者の仕事のすばらしさに感銘を受けました。人の悩み、苦しみ、心配を助けるという仕事はいいなあと思いました。それは、ヤスナガ先生のイメージから来たそうです。
日野原先生は、100歳の人生の中でも、ヤスナガ先生の存在が大きかったと言われます。
- 1932年(昭和7年)
- 京都大学医学部の2年に進級の直前、20歳の時結核(肺結核と左側結核性胸膜炎のために1リットルの滲出液を貯め、38度の高熱が6か月も続いた)に罹り1年間闘病されました。その時の体験が、患者の気持ちがわかる医師にさせてくれたと言われます。結核、腎臓を患い、30歳過ぎてから元気になられたそうです。結核の特効薬がまだ使えない時代で、6か月間も絶対安静を医師から命ぜられました。食欲もなく、夜の不眠に悩んだそうです。先生は強気の性格で、クラスの友人のトップを走りたいとの野望がかなわなかった自分は、世の中で最も不幸な人間だと感じたそうです。最初に志した外科医になろうという目標は、体力のない自分には不可能とされました。この青春時代の逆境は、誠に苦しかったと言われています。
- 1970年(昭和45年)
- 58歳の時によど号ハイジャック事件に遭遇されました。犯人達がダイナマイトを持って自分達の主張を通そうとしていたそうです。山村代議士が身代わりとなってピョンヤンへ行ってくれ、自分達は金浦空港へ降り立ち大地を踏みしめた時、無事に地球へ帰ったという感動があったようです。生きて帰れるかどうかわからない4日間でした。そして、先生はこの時に人生の後半を与えられたと感じられたそうです。
日野原先生の運動法
- 腕立て伏せ(いすの背を持って、腕立て伏せを20回します。いすは体重がかかっても動かないようにしっかりと固定してください)
- スクワット40回
- 首の体操(首を前後、左右に動かします。風呂に入った時にすると良いそうです)
健康チェック
体力は80歳並ですが、3年前に比べると足の伸展や歩く速さが低下していました。下半身の機能が低下したようです。
そこで、先生は週1回の筋肉トレーニングを始めました。専門のトレーナーさんに指導を受けています。
日野原先生の人生の心得
60歳から 腹八部、筋力をつける
70歳から やったことのない新しいことを創める(はじめる)、腹七部
80歳から よく歩き、若いものに好んで接する
90歳から 心のおもむくままに生きる、道理にたがわず
100歳から よい友を持ち、あるがままに生きる
先生は88歳でミュージカルの脚本を書き、92歳で舞台へ立たれています。また、自分の持っている良い遺伝子を出すことが大事だと言われます。それには、いい文学、良い音楽などに触れ環境を良くすることだと言われます。
奥様・静子夫人との結びつき
2011年、現在奥様は認知症と肺の病気を患っておられます。奥様は家庭のことをきっちりとされてきました。そして、日野原先生を長い間支えてこられました。
日野原先生は、奥様の苦しみを少しでも取って、彼女の純粋な気持ちを大切にしたいと言われています。雲の合間に月が見えるように、時々感情表現が見られると嬉しいと言っておられます。
奥様の容態がだんだん悪くなって来るので、死の足音を感じると言われます。その時の覚悟が必要だけれど、その時の自分のやるせなさを想像できないから、考えないようにしていると言われます。そして、自分の生き方、命をシリアスに考えるようになったそうです。100歳を前に心は不安に揺れているとテレビで放映していました。
奥様が入院されていた時に、感情表現などがよくできないので、病院がいいのか、家に帰りたいのかという選択も、先生自身が即決はできずよく考えてから結論を出すと言われていました。
92歳の奥様、100歳の日野原先生、お二人とも長生きですが、もう少し、もう少し長くという思いでいると言われます。
よど号ハイジャック事件の後に、お世話になった方々にお礼状を出されていますが、その時に奥様は、「この度受けたお恵の一つでも、いつの日にかどこかでお返しできればと思っています」というような内容の文章を寄せられていて、日野原先生は、すごい言葉を使う女性だと改めて感心されたようです。
日野原先生への質問
- ネクタイがステキですね
- ネクタイは自分で選びます。ワイシャツ、ネクタイ、ジャケットなど。この気球のネクタイは、ロッキー青木さんにもらった物です。
- ぐちの多い高齢者への対処法は
- 何か言いたいことがあるからです。「ふふーん、そうなの。そう」と聞いてあげてください。「また、ぐち!」これはいけません。
- モナリザは生活習慣病だったのでしょうか。
- 左まぶたの上に小さな米粒より大きな斑点があります。コレステロールが沈着し、高コレステロール血症のようです。豊かで美食家のようですね。
- 医師にならなかったら何になりましたか
- 音楽が好きだったから、作曲家か指揮者かそんな感じがします。
- 運動は
- 1年に1回、北海道で息子とゴルフをします。
- 何をやってもやせないのですが、どうしたらいいですか
- 食べることを4割減らしてください。好きなことに集中したら、お腹はすきません。
- インフルエンザ対策は
- マスクをするのは人様にうつさないため。人の前では咳、くしゃみをしない、ハンカチを使って飛沫を飛ばさないエチケットが大事です。
- 短時間で質の良い睡眠を取るには
- うつぶせ寝がいいです。羽毛でできた枕を額の所へ当てて寝ています。すると口はふさがれませんから。
- お酒が好きですが、どのくらいまでがいいのでしょうか
- 日本酒なら1合、ビールなら1本までです。休肝日を決めて週1回は飲まない日にしましょう。
- 6ヶ月の子の母です、何が大切でしょうか
- スキンシップが大切です、たくさんだっこしてあげてください。また、小さくてもわかりますから、語りかける、子守歌を歌う、話をするなどしてください。じっと聞いていますよ。10歳になると大人以上になります。
- 子どもに命の授業をされていますが
- 命はどこにあると聞くと心臓と言いますが、あれは血液を送るポンプです。命は持っているけれど見えません。持っている時間が命です。大事な物は目に見えません。
- 「10歳の君へ」を読んで感動しました。
- 先生の前向きに生きる姿勢に教えられます。
- 嬉しいですね。こういう方達がいるから、私もエネルギーをもらうのです。
石原結實先生の健康法
医師、石原結實(いしはらゆうみ)先生の話では、病気にならないようにするには
(1)食べすぎない・・・食べすぎは免疫力の低下を招く
(2)低体温にならない・・・体温を1度上げると免疫力が5倍上がる
上の2つに気をつけるといいらしい。
石原式朝だけにんじんジュースダイエット
石原結實先生が2002年に出版された「石原式朝だけにんじんジュースダイエット」(海竜社)に載っているダイエット法は以下の通りです。
- 朝食
- ニンジン2本(約400g)→240cc、リンゴ1個(約250g)→200ccで合計440cc(コップ2.5杯)
ショウガ紅茶1~2杯
(紅茶に黒砂糖、またはハチミツと、すりおろしショウガを入れる) - 昼食
- そば(ワカメそば、トロロそばなど)七味とねぎを多めに入れる、または軽食
- 夕食
- アルコールを含めて何でも可(日中お腹がすいたり、のどが渇いた時は、ショウガ紅茶を適宜飲みます)
石原結實先生の本 「医者いらずの食べ物事典」・PHP文庫・本体495円(税別) 「血液サラサラで、病気が治る、キレイになれる」・PHP文庫 「プチ断食健康法」・PHP文庫