伊達洋至(だてひろし)医師・肺手術の達人
テレビ番組「プロフェッショナル 肺がんと戦う名医、進行がん・超絶の手術、難病の少女に誓いの肺移植」を見ました。
伊達洋至(だてひろし)医師と言えば、岡山大学医学部付属病院におられたはずと思っていましたが、京都大学医学部付属病院に転職されていたのですね。
肺動脈の縫合という繊細な技術力とともに、伊達洋至(だてひろし)医師の人間性が見る側にも伝わってきて、その真摯な態度に神様も力を貸してくださると思いました。
こんなお医者さんがたくさん増えるといいですね。
呼吸器外科医・伊達洋至さん
伊達洋至(だてひろし)医師は、現在51歳です。世界でも肺手術では、飛び抜けた腕前として有名だそうです。
京都大学楽天 医学部付属病院、呼吸器外科の医師25人のリーダーとして、入院患者40人の治療にあたっておられます。ほとんどが他病院から紹介された方々のようです。
伊達洋至(だてひろし)医師のモットーは、「威厳より笑顔」だそうです。患者さんは、一生に一度の一大事に遭遇しています。医師である自分が暗く、苦い顔をしていたらダメで、笑顔で接して少しでも明るい雰囲気を作ってあげたいという、患者さん思いの気持ちからでした。
66歳・肺がんの人の場合の手術例
この方は、肺がんが左肺の上部にできていました。一般的には左肺を全部取る手術が行われます。しかし、この方には肺機能が正常な人の40%しかないという問題がありました。
伊達医師は、左肺の下半分を残すことができると判断しました。しかし、リスクもありました。
左の上葉切除術がおこなわれました。伊達医師は、おだやかに指示を出すことにしています。スタッフに要らない緊張をしいらないためだそうです。細やかな配慮があってこそ、難しい手術も成功するのだと確信しました。
肺動脈の縫合手術は、通常30分かかるそうですが、伊達医師は14分で終わらせました。早く終えると肺へのダメージを少なくすることができます。
伊達医師による肺移植
20歳代女性は、5年前から肺の組織がかたくなる難病に罹りました。酸素吸入をしていますが、1年以上生きた人はいないそうです。
そこで、肺移植を希望されました。肺移植の手術自体20%が失敗するそうです。母親とおばさんから肺をもらうことになりました。
7時間30分の肺移植手術は成功し、2日後に患者さんは意識を取り戻しました。
伊達医師は、「この患者さんを治して、世の中に出してあげたいという、強い思いが力になる」と言われます。
小さすぎる試練・6歳の子
母親の肺の一部を取って、6歳の子供の片肺と交換するそうです。が、子供の胸が小さいために移植した肺が収まるかどうか、という難題がありました。
手術をしてみないときちんと収まるかどうかわかりません。収まらない場合には、こどもの両肺を切除することになります。
移植してみると、もう少しという所で収まりきりません。伊達医師は、とりあえず皮膚だけ縫合し、肺の腫れが引くのをまつ方にかけました。そうすると、肺機能もよくなり胸郭を閉めてもよくなりました。
お陰で、子供さんは自分の片肺を残すことができました。
肺移植前に容態が急激に悪化した患者さん
肺移植前に容態が急激に悪化した患者さんがいたそうです。1998年10月のことだそうです。肺移植に失敗すれば、日本の肺移植が遅れてしまう。という大変な状況のもとに手術は行われました。
ますみさん(以下に記述)にも祈りました。手術になると、集中して夢中で手を進めたそうです。手術は無事に終わり、患者さんは2ヶ月後には退院されました。
伊達医師は、患者さん、家族の強い思いが力を与えてくれたと言われています。
伊達医師の手術の特徴
- 縫合する糸は、一般に使われる糸より一回り細い、直径0.1mm以下の物を使います。
- 針を通す場所は、端に近すぎると縫えずに外れることもあるし、深すぎると血管が細くなる可能性もあります。針をかける最適の場所を選ぶ必要があります。
- 縫い目の間隔も大切です。肺動脈の血管の状態により間隔を変えます。
- 素早く縫うために、針を持ち替える瞬間を捉えています。
伊達医師は、手術は直接患者さんの命と直結しているので、恐ろしいと言います。そして、体力づくりなどのために毎日のランニングとお寺への参拝をかかさないそうです。
手術に慣れてくる頃が恐ろしいと、自らを律しておられます。
難病の少女に誓う
伊達医師は、自分の弱点は情にもろいと言います。3年前に岡山大学医学部付属病院から、京都大学医学部付属病院に転職しました。医師である奥さんと離れて暮らしておられます。
伊達医師の部屋には患者さんであった少女の写真が飾ってあります。15歳のますみさんの写真です。肺高血圧症で、脳死による肺移植を望んでいましたが、ドナーは表れず亡くなってしまいました。
伊達医師は、アメリカで肺移植の技術を学んでいましたが、日本ではなかなか肺移植ができない状況でした。ますみさんは、2ヶ月目には歩けなくなりましたが、院内学級で一生懸命勉強していました。
移植を受けて、いろいろとやりたいことがあったであろう、ますみさん。その望みを叶えてあげられなかった悔しさを忘れないように、写真を飾っておられます。
伊達医師は、難しい手術の前には、ますみさんの写真の前で手を合わせ、力をくださいと、祈るそうです。